ブランドを再考する【その2】ソープオペラとソフトウエア

前回からの続きです。

米国にソープオペラ(soap opera)と呼ばれるコンテンツのジャンルがある。これは音楽劇のオペラではなく昼間のTVに流されるドラマ番組のこと…いわば日本での「昼ドラ」に近しいのか…主に主婦を狙った石鹸や洗剤を広告する企業がスポンサーとなり、番組にその広告が挟まれることからソープオペラと呼ばれるようになったらしい。当時、番組のジャンルが広告のイメージによって命名されるくらいに広告ブランディングが有効に機能し、そこでは熾烈な競争が展開されていたのだろうと想像できる。

確かに洗剤のマーケティングの方法はパッケージからマス広告までを通したブランディングとして相当に注力されてきた。さらにトイレタリー製品は、その命名から始まり、容器=パッケージの形状からブランドロゴ、メディアに載る写真、店頭の陳列状況まで、あらゆる消費者テストを執拗に繰り返されて、そのイメージが決定し管理展開されている。

かつて牛に押された烙印は、そのモノ(=牛)自体を識別した。それが必要十分な条件であるけれども、食品やトイレタリー周りの形のない「物質」がパッケージ化され流通に乗ると、その商売をより有利に進めるための入れ物=パッケージのイメージは単に識別するだけでなく、その中身をより強く印象付け他者と差別化し、最終的に購買に結び付けるための重要な要素となる。店頭やメディアへのイメージ露出の瞬間こそが命である。

マスメディアが台頭した1960年代、デザインコンサルタントのリッピンコット&マーギュリーズ社による『コカコーラ』などに代表される強いブランドアイデンティフィケーションの方法論が確立する。ここでは形のあるモノ自体に明示する「印」以上に、実体として掴みにくい物質の商品化の仕組みの中でブランディングはより巧みに進化したと思われる。

つまり食品>トイレタリー>店舗>サービスへと、モノから始まったブランディングは、不定形なモノ(液体や粉)をパッケージングし、店舗の空間イメージを統一し、会員制度のサービスの質という触ることのできないイメージを研ぎ澄ませてきたのである。

そしてそのブランディングの歴史をもう一度なぞって、もはやモノとしては存在しないはずのソフトウエアのパッケージが、ビル・ゲイツが思い描いた「すべての人の机の上や家庭にはコンピューターがある時代がくる」というヴィジョンの実現のための方策として登場する。

かつてのコンピューターはメインフレームである。ダム端末からメインフレームにアクセスしてタイムシェアリングシステムの中でコンピューティングする。この世界観からの開放がパーソナルコンピューターの存在意義であるし、これを象徴するようにひとつのパッケージに詰め込まれたプログラムとしてのPCソフトウエアこそがビル・ゲイツのヴィジョンを顕現するのである。だからソフトウエアは触れないものだけれども、あえてそこにパッケージングが必要だった。

ボトリングカンパニーとフランチャイズの販売システムのなかで「フォーミュラ」と呼ばれたコカコーラのフレーバーの配合=レシピは、ある意味最も重要な秘密だった。それがコカコーラの本質であるならば、マイクロソフトにとってのOSこそ彼らのPCというビジネスモデルを世界に通用させる本質である。そしてそれらエコシステムの本質的な革新とともにそれを市場に確実に広げるための方策として、パッケージングとアイデンティフィケーションがその鍵を握ったのではないだろうか。

ビル・ゲイツはすべての商品名にマイクロソフトを接頭語のようにビルトインした。マイクロソフト マルチプラン、マイクロソフト ベーシック、マイクロソフト フォートラン…である。そしてマニュアル、記憶媒体、契約書が梱包されしっかりと封印されたパッケージのトップにはマイクロソフトのロゴが箱の幅いっぱいに印字される。それが1986年、ブランド戦略を携えて日本に訪れた黒船の姿だ。そのヴィジョン自体をマイクロソフトというブランドに託す方法が、ソープオペラの間に挟み込まれ熾烈な競争を生き抜いた強いブランドイメージ戦略に重なって映るのである。

マイクロソフト パッケージ画像

1986年マイクロソフト日本法人が立ちあがった頃の日本版PCソフトウエアパッケージ、言語が黒(チャコールグレー)、アプリケーションが濃紺という組み合わせだった。

参考
■Windowsの歴史
http://windows.microsoft.com/ja-jp/windows/history#T1=era0

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